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研修医Eさんの場合(前編)

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当サイトでは、若手の先生方がどのようないきさつで今のキャリアプランを選んだのか、インタビュー形式でご紹介していきたいと思います。今回は「研修医Eさんの場合(前編)」です。

医療系コンサルタントである管理人が執筆しています。

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学生時代は好きなことばかりをしていた。

中学校から始めた卓球を大学でも続け、東医体や全医体で汗を流した。また、ESS(English Speaking Society)にも所属し、スピーチコンテストなどに出場した。

二十歳を超えたころから小説、特に村上春樹の世界にのめりこみ、そのうち自ら小説を書くことに多くの時間を費やした。

幸いなことに医学という学問には興味をもつことができた。

大学の講義もそれなりに面白かったので、ほとんど出席した。

臨床医になることは最初から決めていたが、基礎医学への好奇心もあり、四年生の頃になると基礎医学の研究室に出入りした。

臨床実習が終わる五年生の冬頃になると、いよいよ進路選択が現実的な問題となった。

臨床と研究の双方ができる医師になりたい、それができる施設にいたい、という漠然とした理想をもつようになっていた。

また、臨床実習を通して、膠原病学と血液学に興味を覚えた。

しかし具体的にどこで研修し、何科に進み、どこでどんな臨床や研究をするのか、全くイメージが湧かなかった。

悩んでも結果が出なかったので、迫りくる一つひとつのことに集中することにした。

まずは研修先をどこにするか、母校か全く関係のない市中病院かで悩んだ。

臨床研修制度が変わろうとしていた時期であり、早く専門科に入ったほうが得、という時代の流れがあった。

また、病院漬けの研修生活よりも、ある程度余裕をもちながら、「賢くおしゃれに」研修しようとする風潮をひしひしと感じた。

母校に残ったほうがいろいろとやりやすいし、スムーズに専門に入ることができる。

しかし市中病院に出たほうが密度の高い研修をすることができ、ひょっとしたら自分の本当にやりたいことを見つめなおすことができるかもしれないという期待があった。

東医体の卓球の決勝戦で戦った学年が一つ上の他大学のライバルがA国際病院で研修していた。それがA国際病院を見学先の一つに選んだきっかけであった。

市中病院をいくつか回ったが、A国際病院が一番よかった。病棟はレジデント主体であったし、一つ上の学年が一つ下の学年を教育するという屋根瓦方式が徹底されていた。

また、教育的なカンファレンスが他に比べ圧倒的に多かった。

朝から晩まで必死に働き、必死に勉強する先輩レジデントたちの姿がまぶしく見えて、後に続きたいと心が揺れた。

結局僕は「時代の流れ」や「風潮」ではなく、自分が本当に行きたいと思う研修病院を選んだ。

(続く)

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